自死について

親友と呼べる人が死を選んだ。 
しばらく時間が経ったが、ふとしたタイミングで故人を思い出し、そのたびに考えを巡らせている。誰にも話したくないので、ここに書いてみたい。

故人は非常に優秀なひとであった。功績を述べれば、少なくとも日本国内で彼を優秀と認めない人は居ないだろう。学業でもスポーツでも本当に優秀だった。

考えは常に理詰めで合理的である。
理屈を振りかざすわけではない。
考えていることが常に正論なのである。

そのため、相談をしても隙のない、ドライな正論を返してくる人だった。
自然に出る言葉だからか、実績に裏付けられているからか、それに嫌みがない、そんな人だった。

完璧だから、退路がなかったのか。
天才故に最適な解が自死であると判断したのか。
疲れて正常な思考ができなかったからか。
ご本人にとって幸せな選択肢は、なんだったのか。

今となってはわからない。声を聞くことはもう出来ない。 
聞けたらどうなのか?私は自死を止めるのか?それは間違っている、と言えたのか。   

どうしてそこに至ったのか?そこに至る経路のうちどれか一つのボタンのかけ違えがなければ、違う選択肢に至ったのか? 
私が何か一つでも、メッセージ一つ送ったら結果は違ったのか。

今となっては何もわからない。
なんでも失敗は次に生かせる。しかし、この選択肢だけは取り返しがつかない。

この先何年も同じ時間を生きると思っていた。 
仕事、家庭、どんな話をこれからするのか?楽しみにしていた。

私は故人を敬愛していた。
でも感謝の言葉を伝えられないまま、逝ってしまった。

故人のことはずっと忘れない。
故人になにもしてあげなかった自分の不甲斐なさも忘れない。


ありがとうございました。ごめんなさい。
どうかこの二言だけでも、届いてくれないだろうか。